前回の続き↓
ここで自分がなぜこの曲をやろうと思ったのかと言う話がやっと終わる。やはり長い。
まとめてしまうと、これまで書いてきた気分の浮き沈みが、最後のたった一つのきっかけにより、異常なまでの行動力に変換されるのである。
「巡り合わせ」
改めて考えると、こんなことでケロッと元気になってしまうことが、自分という人間のよくわからない部分でもある。
「1840年以前に作曲された曲」を課題とするコンクールの登場である。このコンクールの要項をみた瞬間、それまで過去の受験の失敗と今後の目標を失ってしまっていた自分は、目先の目的を見つけられた嬉しさだけを原動力に、作りかけだった譜面をすぐに完成させ、ピアニストにも連絡する。
そこから録画の提出までの流れが、ついひと月前の話なのだが、すでにその過去の自分を気味悪く感じている自分がいる。
審査動画の録画環境、機材、合わせ練習の場所、そもそもの自分の練習場所、これら全てがろくにない状態だったのに、よくやったものだ。こういう時特に褒めてくれる人は周囲にいないので自分で自分を褒めることとする。
さぁここでやっと演奏するきっかけについては書き終えたわけだが、冷静に考えて、今のところこのシリーズのタイトルに書いてある内容まではろくに触れられていない。次回、「シューベルト:int.&しぼめる花var.をさらって見えてきた自分」今更すぎる。
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