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下げられるハードルは下げとけばいい

  放置するだけして、いざ重い腰を上げて記事を書こうとすると、それまでの自分の記事が「ハードル」という形で立ちはだかってくる(特にシューベルトのやつ)。そりゃあ生産性やらなんやら、あるに越したことはないのだが、それを理由に何もやらなくなるくらいなら、こういう何が言いたいのかすらわからないような記事も、書いときゃいいんじゃん?という話。ある程度増えたら消しゃいいんだし。  とりあえずわざわざここへきて何が言いたいって、自分の「仕事観」みたいなのが、割と大きく変わった一ヶ月感を過ごしましたよ〜、ということ。完全に自分のための、備忘録。 これがこのまま、うまくいったとしたら、この記事を見返した時、面白いのかな。まぁどうでもいいや。

ブログを始めたきっかけの話

  「理由」は山ほどあるし、どれも抽象的なので、ある程度自分の中でまとまった時に小出しにしようと思う。というか投稿内容が増えればわかっていくだろう。いずれにせよ、ここで書くのはあくまで「きっかけ」である。 昨年、とある現代作曲家についてネットで調べていた時のことである。作曲家名で検索を掛けたところ、妙に見覚えのあるウェブサイトが、割と上位に表示されたのである。 そのサイトが、かなり親しい先輩のブログだと気づいている時点で、本来の目的とは遠くかけ離れていたわけだが、僕はこのことが起きた理由知りたさに、思わずその記事を読んでしまった。記事の内容は自分が検索をかけていた作曲家のとある楽曲についての考察だった。よりによって自分が演奏する予定のある曲だっただけに、貪り読んでしまった。いうまでもなく記事の内容は素晴らしく(先輩相手に言うことでもないが)、自分が検索をかけた当初の目的とは違う情報だったとしても、とても有益な情報が得られた。 そしてこのブログが、その先輩から見て赤の他人にあたる人間にも、その作曲家の名前を入力しただけで届きうると気づいた時に、僕は「ブログを始めよう」と思ったのである。 先輩本人に、この記事を書くことへの許可はおろか、このブログの存在すらお伝えしていないので、その先輩の名前も、そして念を押して彼のブログで語られていた作曲家の名前も伏せることとするが、作曲家に関して言えば、この方の名前で検索をかける同業は、はっきり言ってそう少なくない筈である。それ程、すでに名の知れた方である。その名を(こうやって伏せ続けているとなんだかハリーポッターのような世界観になってくる)検索しただけで、例えば自分のブログに辿り着き、自分の活動記録や、思想などを読まれることがあるとしたら、どれほど効果的なマーケティングになるだろうか。名刺や、演奏会のフライヤなんかより遥かに「自分」と言うものを深いところまで見せることができる。そしてあくまで予想だが、おそらくブログを書いた先輩本人は、自分の記事がこのようなところに届いていることなど、全く予想していないだろう。本人の手だけでは届き得ないはずのところに、先輩の情報や思想が、ブログを通じて届いているのである。 これにはもちろんリスクもある。一時期Twitterに「馬鹿発見器」なんて代名詞が付けられていたが、ブログこそ、自分の考えをほぼ無制

勢いで始めたけども

10/17にこのタイトルの下書きを作り白紙のまま、気づけば2021年。 ↑こんな文だけ書いても結局何も思いつかず、さらに1ヶ月弱、このままでは何も始まらない気がするので、無理やり投稿してみる。 とはいえ何が始まるかはぶっちゃけわかっていない。タイトルを書くまではこのブログ自体何語で書こうかすら決めていなかった。なんなら、ここからそれすらも急に変えるかもしれない。 とりあえず、何をするにも軽い気持ちで始めないとろくに行動できない体質なので、軽い気持ちで、スタートしてみることにする。