「理由」は山ほどあるし、どれも抽象的なので、ある程度自分の中でまとまった時に小出しにしようと思う。というか投稿内容が増えればわかっていくだろう。いずれにせよ、ここで書くのはあくまで「きっかけ」である。
昨年、とある現代作曲家についてネットで調べていた時のことである。作曲家名で検索を掛けたところ、妙に見覚えのあるウェブサイトが、割と上位に表示されたのである。
そのサイトが、かなり親しい先輩のブログだと気づいている時点で、本来の目的とは遠くかけ離れていたわけだが、僕はこのことが起きた理由知りたさに、思わずその記事を読んでしまった。記事の内容は自分が検索をかけていた作曲家のとある楽曲についての考察だった。よりによって自分が演奏する予定のある曲だっただけに、貪り読んでしまった。いうまでもなく記事の内容は素晴らしく(先輩相手に言うことでもないが)、自分が検索をかけた当初の目的とは違う情報だったとしても、とても有益な情報が得られた。
そしてこのブログが、その先輩から見て赤の他人にあたる人間にも、その作曲家の名前を入力しただけで届きうると気づいた時に、僕は「ブログを始めよう」と思ったのである。
先輩本人に、この記事を書くことへの許可はおろか、このブログの存在すらお伝えしていないので、その先輩の名前も、そして念を押して彼のブログで語られていた作曲家の名前も伏せることとするが、作曲家に関して言えば、この方の名前で検索をかける同業は、はっきり言ってそう少なくない筈である。それ程、すでに名の知れた方である。その名を(こうやって伏せ続けているとなんだかハリーポッターのような世界観になってくる)検索しただけで、例えば自分のブログに辿り着き、自分の活動記録や、思想などを読まれることがあるとしたら、どれほど効果的なマーケティングになるだろうか。名刺や、演奏会のフライヤなんかより遥かに「自分」と言うものを深いところまで見せることができる。そしてあくまで予想だが、おそらくブログを書いた先輩本人は、自分の記事がこのようなところに届いていることなど、全く予想していないだろう。本人の手だけでは届き得ないはずのところに、先輩の情報や思想が、ブログを通じて届いているのである。
これにはもちろんリスクもある。一時期Twitterに「馬鹿発見器」なんて代名詞が付けられていたが、ブログこそ、自分の考えをほぼ無制限の状態で垂れ流すのだから、それと同じ、下手すればそれ以上の危険がある。しかし、元々自分の考えやらなんやらを、文章にまとめることの重要性を漠然と感じ始めていながら、得意の出不精を発揮してやらずにいた僕には、この発見はいい「きっかけ」となったのである。自分の脳内に飼育している女子高生が先輩の記事をみて『自分の考えとかまとめながら自分の知ってもらえるって一石二鳥じゃん』と言いながら背中を押してくれたのである。
そして現在、これが3つ目の記事となるわけだが、「情報・思想の発信」、または「考えを綴る」以外のメリットに気づくことができた。これらを「世界に垂れ流す」ことに、自分がどう反応するかを、都度身をもって体感できることである。躊躇するような考えだったりした場合、やはりその概念は自分の中ではまだ芯のないものだとわかるし、芯のないものを芯のないまま発信しようとした時、自分がどういう表現方法を選ぶかも、案外知ると面白いとも思った。
少しずつ、Bloggerの機能も分かり始めているところだし、今後お知らせすることも無事増えていきそうだし、嫌にならない程度にこのツールはしっかり活用していきたいと思う。
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